②
古我地 × 飯名尚人
前 半
古我地さんのライブを下北沢のジャズバーLADY JANEで聴いて、ひっくりかえった。これまでに聴いたことのある沖縄民謡とはまったく違うトーン。現代に生きるってどんなことか、と目をつぶって考えてしまった。沖縄民謡を聴いて、今の自分、今の日本を考えるなんて経験が今までにはなかったから。そして目の前に「喜怒哀楽の音楽」というものが、あったのです。
「ルーツってなんですか?」という僕の質問に、古我地さんは「僕はアメリカと沖縄のハーフで、石投げられたさ。でもね、恨んでるわけじゃないよ」と答えた。沖縄と日本の状態を冷静に見ている。
沖縄、日本、教育、経済、音楽、そして自分自身についての、対談。
2011年6月29日/東京・池尻にて

<喜怒哀楽の音楽>
古我地
先日のライブの最後に『風に吹かれて』(ボブ・ディラン)を唄った。「その答えは風の中さ」って。なんでか。人間は動物だから。動物的になればね、答えは見えてくるよ。
よくね、「アイデンティティは沖縄ですか?」って聞かれる。でもね「沖縄は途中です。僕のアイデンティティは動物です」って答えた。世界中の音楽って「喜怒哀楽」なんだよね。でもそれがね、「なんとなく喜怒哀楽」「喜怒哀楽っぽい」っていうものに変わってきてしまった。
飯名
それはなんでですか?
古我地
動物だったものが、お気軽な生物に変わって来ちゃった。
飯名
「沖縄民謡をやってるって言いたくない」って言ってましたよね。
古我地
あれは、僕が動物で、人間だから、という意味なんだよね。
飯名
古我地さんの唄を聞いて、沖縄っていいね、っていうだけじゃ済まないな、って思ったんですよ。
古我地
僕が唄う子守唄を聞いて、お客さんがそれぞれの故郷を思い出してくれたらいいと思う。
自分の原点を感じてほしい。「沖縄の人って優しいですよね」って言われる。そうね、パーセンテージから言ったら優しい人が多い。でも暴力団だって詐欺師だっているわけ。沖縄には。
飯名
(笑)そりゃいるでしょうね。
古我地
おかしいよね。沖縄の人が全員いい人って。やられてるのよ、麻痺してる。モノを考えてないわけですよ。
飯名
古我地さんの話というのは、沖縄をすごく非難するときもあるし、すごく擁護するときもある。不思議と、非難も擁護もすんなり聞けてしまう。それが喜怒哀楽というものなんですか。
古我地
この間、こういう唄を唄った。すごく愛していた時代と、愛せなくなった時代。その切なさ。というね。心の話をしていたはずが、物とお金の話になってしまった。そうなると首を吊ることになってしまう。これが50年後、子供や孫の世代になったときに、沖縄もね、東京と同じ道をたどる。それがもう始まってる。沖縄も自殺率が高いからね。
<義務教育がもたらしたもの>
古我地
なぜダメなのか、なぜいいのか、という議論にいかない。本当に変えたいのであれば、なぜダメなのか、を話し合わないと。そこから始めないと。
飯名
いきなり大きな議論を始めるからかな、と思うんです。原因が見えなくなるんです。大きな議論には「私」というものがないことが多い。すぐ「国民はこうです」という議論になってしまう。
古我地
国に幸せが見えないよね。見えなくしているのかな。そういう義務教育になってしまってる。漠然と「お金を儲ける」というようなことが目的になってしまっていて、それについてほとんどの人が考えていない。もちろん考えている人もいるけど、そういう人は「特別」「少数派」になっているわけ。
飯名
先日のライブ中のトークで、「お金を貰うのは悪いことではない、どうやって貰ったかが問題」と言ってましたよね。
村上ファンドやホリエモンもそうだった、と。ずいぶん前ですけど「朝まで生テレビ」にホリエモンが出演していて、ゆとり教育の話をしていた。彼は「ゆとり教育というのは、僕のような人間を育てるのが目的だったわけでしょ?なのに社会は僕を潰そうとしている」ということを言ってた。でもそれに対して他の出演者も田原総一朗氏も「そうだ、そうだ」と言って、ホリエモンの評価を上げた。それってどうなのかと。
古我地
やっぱりお金を回したから、ね。この人を上に立たせたら、またお金を回してくれるんじゃないか、っていう、そういう期待なんじゃないかな。ゆとり教育の時に、多くの人が「心」の話だと思ったはず。ところが、いつの間にか経済の話になってしまった。ホリエモンがそういうこと言ったときにね、周りの大人も「そうだそうだ」ってなったのは、明確なビジョンがないままに、ゆとり教育をやってたから。だから方法がどうあれ、お金を回したことで評価しちゃった。
飯名
倫理、ルールが無視されてますよね。明確なビジョンがなかったのは感じます。いろいろな面で。
古我地
そのことがなぜダメなのか、なぜいいのか、という判断を誰もしてないからね。
テレビの影響も大きいよね。戦争のときもそうだったと思うけど、唄もそうだし。だから僕はテレビ批判をしちゃう。
飯名
それはなんでですか?
古我地
テレビが言ったらみんなが「スゴい」って思っちゃう。ここが美味しいよって言ったら、翌日から行列ができちゃう。みんなが信じちゃう。テレビを作る側は、そのことを知っているわけよね。お金を作るための企業になってる。そこには愛国心がない。国を良くしようなんて思ってない。だから、先日のライブで最後に言った「儲かるのが悪いんじゃない。何を売って儲けるのかが問題」というね。そこを考えていかないと。
昼夜構わずパチンコ屋のコマーシャル。パチンコ屋が悪いわけじゃないけど、それって裏の世界でしょ。子供もコマーシャル見てるわけ。愛国心の問題。フランスの国旗は、青は自由、白は平等、赤は博愛、って国の方針が描かれてて、じゃあ日本は?今の日本は芸人、温泉、グルメ。
飯名
(笑)
古我地
今、それが出来ているかどうかは別としても、方針があれば、国民が迷ったときに基準が出来ると思う。それは幸せにも繋がる。国に基準がないから、どこに向かっていけばいいのか誰も分からない。義務教育、というのが出来て、戦後の国を復興させるためのね。でもいまだに同じことをやってる。手に入れようとしたものは、とっくに手に入れたはずなのに、まだ手に入れようとしてる。
飯名
たしかに同じこと教育しているように思えます。戦後は、なにしろ焼け野原に家を立てなきゃっていう物凄いエネルギーだったと思う。でも、今はどうなのかな。
古我地
グローバルって言葉も、経済を意味しちゃってる。経済がメインの教育が続くとすると、子供達はなんの疑問もなく「お金」って思っちゃう。人間が馬鹿なまんまでいれればいいけど、どっかで気がつく。気がついたときに、人間の幸せって何かな、って思ったとき、考えられる人いいけど、考えられなかったら首吊っちゃうよね。追い込まれて。
飯名
その違いは何ですかね?考えられる人と死んじゃう人の。
古我地
生きていくパワーと知恵、じゃないかな。義務教育はパワー、エネルギーの教育をしていない。頭は育てるけど、心のパワーは育てないよね。
飯名
70年代ってパワーがあった時代じゃないですか?
古我地
6月に沖縄終戦記念日があって、いろんな人が集まるわけだけど、72年に沖縄返還の時代に、バンバン色々ひっくり返してた人たちなわけ。フォークソングを唄って。団塊の世代ですね。そういうパワーはあった。でも、彼らも大学卒業するときに「あー、おれやっぱり就職するわ」「なんだお前、裏切るのか」とかね。あれ面白いよね(笑)。それでもオレはこうやって生きていくんだ、という人と、従っちゃう人とが出てくる。時間が経って、従った人は数も多くなって「お前らまだそんなことやってんのか」って言う(笑)。そういう構造ね。僕は団塊の世代よりは下だけど、教育あんまり受けてない。
飯名
教育受けてないって?
古我地
僕は学校あんまり行ってない。勉強してない。僕の下の世代からは、沖縄でもみんな勉強してるよね、今は。
飯名
不良だったってこと?
古我地
うーん、まあ、沖縄で僕の世代ってみんなそうだったからね(笑)。
飯名
すこし前の話ですが、2002年くらいから「沖縄デジタルアーカイブ」というのが始まって、要するに沖縄の文化をWEBでアーカイブにして公開する、という大きなプロジェクトでした。総合プロデューサーが高城剛氏。物凄い予算がかけられて、ホームページ制作みたいなことをやってたようなんですけども、今もまだあるのかな、一度見たことがあるけども、まあ別にたいしたことのない情報サイトだった。観光情報としてもあまり使えないホームページで。
おそらくこういった予算の一部は、沖縄のプロダクションが製作を受注して仕事にしているんだと思う。しかし、そこまでしないと沖縄に予算が回って来ないという現状はどうかと思いました。
古我地
何十年計画、とかね、そういうビジョンが沖縄にはないんじゃないのかな。日本にもないのか。
飯名
日本にもないですよね。
古我地
沖縄も急激に観光という部分で開けてきたから、失うものも多くなった。沖縄のビジョンってどうやって作れるのかな。沖縄って難しいよ。個人主義なんだよね。なにかやるってなれば、みんなで手をつなぐけども、普段は、それぞれあんまり干渉しない。仲が悪いわけじゃないの。基本的には、気が合う人とは気が合うわけで、気が合わない人とは合わないよね、という感じ。自然体。会社員になると、そうはいかない。嫌な人とも会わないといけない。
飯名
合わなかったら、合わないなぁ、という感じなんですね。分かり合おうよ!という無茶なコミュニケーションは取らない。そういう中で生きているんだよね、という意識なんですね。
こういう話って沖縄の人はしないんだよね、って、古我地さんが言ってましたね。でも沖縄の人たちは当事者ですね。なんでですか。
古我地
そういう気質なのね。どうしようかねー、まあ、酒飲むか、って(笑)。
あとは教育。麻痺させる教育だから。沖縄国際映画祭だって、沖縄の人はすごく喜んでいるよ。実は一部ではストライキみたいなことしたりね。色々裏ではあるんだけど、テレビにはそういう姿は一切出ないから。喜んでいる姿ばっかりが見えてくるけど。テレビが今何をしているのか、ってことに気がついてない。
飯名
チェ・ゲバラの映画があって、その中で、農民が銃で戦いたいから集まってくるわけです。ところがゲバラは「読み書きの出来ない奴は軍隊に入れない」って言うんです。なんでかというと「読み書きできない奴は、すぐに敵に騙される」って言うんです。それで農民に読み書きの勉強させる。
古我地
それが教育だよね。勝つっていうはっきりとした目的があって、そこに向かうために学ぶ。だから勝ったんだよね。明確なものがない。どこに向かおうとしているのかが全くない。
<青くなくなった海の話をしよう>
古我地
よく先輩から「そんなキレイごと言ってちゃダメだ」って言われるよね。
飯名
そう、必ずそういうことは言われます。
古我地
つい最近もね、テレビの人とかにも「それは理想であって、キレイごとじゃないですか?」って言われた。だから僕はね「理想持たないで何ができますか?キレイごとじゃなくて、キレイなことなんですよ」って言い返した。
飯名
僕もよく言われますよ。「そんなに甘くないよ」とか「そうは言ってもお金必要でしょ?」って言われる。だから僕は「そりゃお金は必要だけど、そこまで多くはいらん」とか言うと「それじゃ儲からないじゃない?」って諭される。ずいぶん前にも海外の大きな音楽フェスティバルの人に会って、「それじゃ儲からないよ」って言われて「お金を集めて、大きなことをしないと」という話だった。有名なフェスティバルだったから、なんかちょっとガッカリしちゃった。
古我地
良い音楽を人々に聞かせよう、って思ってないよね。
飯名
お客さんを集めよう、っていうプランなのかな。
古我地
儲かってるのは一部の人たちだからね。フェスティバルに出演してる若い人なんて、みんなノーギャラだよね。でもね、出演者たちもね、なんとかフェスティバルに出演した、とかっていう肩書きが欲しいから出演しちゃう。でもね、一番重要なのは、そのステージでどんないい演奏したか、っていうのが大事なんだよね。でもみんなちょっと違う。大きなフェスティバルに出たということと、周りも、あのフェスティバルに出たんだ、っていうことで食いついちゃう。
飯名
舞台でもありますよ。日本の舞台芸術は、そういう大きな有名なフェスティバルがないから、みんな海外に行く。海外で公演してきた、って。でもその土地で何をしてきたのか、ってことは、なかなか耳に入らない。
古我地
ニューヨークでレコーディングしました、みたいな感じなのね。
飯名
もちろん全員がそうじゃないわけですけど。活動履歴っていうものが宣伝になるわけです。例えば助成金なんかも、これまでの活動実績での評価になってしまいますね。それに対する違和感が、みんなあるんじゃないかな。
古我地
何事もシステムになってしまうよね。
飯名
もし中身のよい物であれば、大きなメディアを使う意味も出てくるんですよね。いい物を広く宣伝するというためにメディアが機能すればね。
古我地
CSとかBSとかね、本当はああいう人たちが頑張って、10年かけて、いい物をどんどん作って、この国が良くなるようなものを発信すればいいと思ってる。そうすれば、今メインでやってるキー局、民放も焦ると思うし。いまテレビを作っている人たちは、妥協して作ってる。スポンサーのためにとかね。だから彼らが僕みたいな人と話しすると「いいなぁ、古我地さんは。やりたいことやってて」って言う。そのかわり僕はお金なんて入らないよね。それを彼らはいいなぁ、っていう。僕は妥協して生きていけなかったから、こういう方法を選んだ。でもね、どっちも大変なわけよ。どっちの大変さを選ぶ?ってなったときにね、僕はこっちの大変さを選んだ。彼らは、あっちの大変さを選んだ。それでも、彼らが、僕のような大変さを選ぶことも出来る。BSとかCSとか、スポンサーがつかない、予算がないというところで、良いモノを作るというね。自分がやったことに褒美がくる。というね、これが仕事なんじゃないかな。やったことに対してお金が貰える。そうじゃないとダメなんだよね。
飯名
そうなんですよね。
古我地
あの機材じゃないとできないとか、あの会場じゃないとできない、じゃなくて、自分で舞台組めよ、っていうね。甘えちゃダメ。かといってね、その行為がすぐにね、世間に受け入れられるわけではない。だって教育されてないから。
飯名
面白いなと思ったのは、古我地さんが「自分はこっちを選んだ、相手はあっちを選んだ」ということを言いました。テレビの人を非難するのではなく、相手の選んだ世界を否定するのではなくて、君はあっちの世界で何ができるのか?という議論を持ちかけている様に思えました。
古我地
お互いが妥協せずに何かが出来るのであればやろうよ、ということね。妥協しない人と妥協に慣れていない人とが会話しているわけだからね(笑)。もし向こうの立場で、僕みたいな人間を扱うことができるのであれば、もちろんやりたいわけ。
飯名
こういう考え方のモノを、そちらで作れませんか?という話なわけですね。
古我地
でも、なかなかそういうものが作れない。やっぱりお金にならないから(笑)。
飯名
彼らも元々はそうじゃなかったと思うんですけども。
古我地
そう。ところが組織の中でやっぱり変わってしまった。
飯名
そこに気がつければいいと思うんですよ。でも麻痺している人は問題だと思うんです。
古我地
そこなんですよ。だから僕はああいうライブをやってる。麻痺している人たちに何かを気がつかせたいと思ってる。
僕のライブって、お客さんに大人が多くて、「わーい、沖縄」って感じのお客さんは、途中で帰っちゃったりする。
飯名
僕が見た先日のライブも「わーい、沖縄」って感じじゃなかったですよ。
古我地
全部そうね。沖縄の「喜怒哀楽」だから。騒ぐときは騒ぐ。でも沖縄ってユルい時間の方が圧倒的に多かったわけ。
沖縄に対しての疑問もある。なんで年がら年中カラフルなの?って。青い海、っておかしいよ。今、話し合わないといけないのは、「青くなくなった海」の話だよ。汚れてきた海の話をしないといけない。あの海は世界と繋がっている。でも、こういう話をするとお金が入らなくなっちゃう。
飯名
うーん。でも、沖縄の人は死活問題なわけですよね。なんとかしてお金を作らないと、っていう思いもあるわけでしょう?
古我地
楽に儲けたいんだよ。本当は畑でもなんでもできるんだと思うけど。あえて「キレイごと」を言うとね、文明が発達して、今まで100人必要だった仕組みが、5人くらいで済むようになっちゃった。そしたら余った土地で畑作って働けばいい。でもね、もう暑いところで働きたくないわけよ。これは自然界からのメッセージよ。オフィスでコンピューターやれる能力のある人が残ってね、そこから落とされた人たちは汗かいて働く。それがみんな大好きな「エコ」なんじゃないの(笑)。
(from youtube)
<寄せては返す、波のリズム>
飯名
先日のライブで、あれはなんて曲ですか?「男と女の間には深い川がある」という歌詞の。
古我地
あれは野坂昭如さんが唄った『黒の舟歌』。
飯名
沖縄民謡じゃないですよね。
古我地
うん。僕が歌うと全部沖縄民謡になるんです。
飯名
ぼーっとしてなんとなく聞いていると、沖縄民謡なのかな、って思いましたよ。
古我地
唄と三線のタイミングって、沖縄独自のものがあって、全部そういうタイミングになるから。
飯名
ボブ・ディランの『風に吹かれて』も、あれ?この曲ってなんだっけ?『てぃんさぐの花』だっけ?とか思っちゃったりした(笑)。
古我地
海の波。寄せては返す波のリズム。あれが自然。たとえリズムが不規則になったとしてもね、きっちりと寄せては返す。人間ってそれが一番気持ちいい。
飯名
うねり、グルーヴとか。ダンスでも、西洋的なカウントやリズムでやっていると、裏打ちが出来なくなってる。ゆらぎもない。早くなったり、遅くなったり、というタイム感がない。大きなうねりが生まれないんです。だから「音楽を聞け」ってなるわけです。邦楽、江戸唄とか端唄なんかもリズムというものが無いわけです。早くなったり遅くなったりしちゃう。ある別の企画で江戸唄の先生に会って話を聞いたんですが、「メリヤスもの」っていうジャンルの曲がある、と言うんです。メリヤスって、要するに、のびたり縮んだりする、って意味で、踊りに合わせて伴奏の音楽を調節するっていうことらしいんです。そういうものがあるんだな、って思った。踊りを音楽に合わせるんじゃなくて、即興的に合わせちゃう。
古我地
うん。僕も先日ね、映画のワンシーンに出演することになってね、ダンサーの伊藤キムさんと共演した。はじめて会ってね、「どうしようか」ということになったんで「即興でいいよね」って言ったら、彼も「そうですね」って(笑)。そこでの信頼関係って生まれる。
飯名
信頼関係か。
古我地
僕はあっち向いてね、キムさんは別の方向向いてる。つまり「気」なんだよね。さっきの江戸唄の話もね、たぶん今よりも動物的だったと思う。だから「気」を読んで、それに合わせるというね。
飯名
動物っていうのが、すごく分かる気がしますよ。その江戸唄の先生も、踊りと合わせるときに、踊りを見ないって言うんですよ。気配で分かる、って言われました。相手の状態が分かるって。それが動物の「気」なわけですね。
セッションするときに、「じゃあ、このリズムでやりましょう」とか「メトロノームに合わせましょう」ってなると、信頼関係がなくなるということですよね?
古我地
それだと数字に生かされている、ってことになっちゃう。「気」っていうのは「自由」ってこと。数字に合わせるってことは、自由じゃないわけです。
飯名
即興のセッション、というものが、用意してきたものを即興で出し合う、というものが多いと思うんですよ。
古我地
やっぱりそういう教育がされて来ていないってことでしょう。誰が何年に生まれて、何年に城作った、という、数字の教育が多い。でもその人が一体なぜあの時にああいうことをしたのか、というね、なぜそれを選択したいのか、ということを知るには、一人の人の生い立ちから考えないといけない。その人の人生、というものを教育されてきてない。だから自由に出来ない。
飯名
まさに、即興を準備してきました、は多くなってしまいます。
古我地
以前教室をしていた時に感じていたんだけど、一人一人がいい子悪い子というのはないんだけど、でも同じような教育を受けて来ている子が集まるから、何か決めてほしい、と思ってるわけ。僕のような人間に会ったことないから。僕は何も決めないからね(笑)。
飯名
ライブで事前に選曲もしないんですよね(笑)。その場で決める、というスタイル。
古我地
そう。だって、ライブのときに僕が話したい人というのは、今目の前にいるお客さんだから。
飯名
リハーサルってするんですか?
古我地
それが、僕はリハーサルが長いんですよ。
飯名
え、何してるんですか?
古我地
煙草吸ってる時間が長い。
飯名
(笑)
古我地
そうやって馴染ませるわけ。場所とか、音とか、人とか。この間もね、会場の機材が決してベストではなかった。でもお客さんにとって、音が悪い、とかね、そんなのは言い訳でしかない。音は時間でも変わってくる。冷房入れれば音も変わってくるしね。そこにも時間をかけないと。
profile
古我地
http://kogachi.com/
1962年 沖縄県本部町新里しみが原生まれ。幼い頃は嘉手納基地内・コザ・本部を転々として育つ。
17歳 内地に渡る。
37歳 散歩中に祭りに出演していた沖縄バンドと出会い、飛び入りで「花」を唄う 。次の日に三線を渡され、生まれて初めての音楽生活が始まる。
2002年 40歳からライブ活動が始まる。
2004年 CD「しみが原」発表。
現在、東京を中心に全国各地にてライブ活動を行う。
失われつつある本来の自由な沖縄民謡のすがた。その世界観は、まるであの頃のブルースの如く、力強い魂の唄声。
喜怒哀楽 古我地ワールド。





