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川口隆夫 × 飯名尚人
前 半
2009年に表参道のギャラリーで川口さんのパフォーマンスを見た。(ちょうどその年に僕は沖縄でパフォーマンスを作る計画があり、それが『熱風』の原型であった。)川口さんは『パーフェクトライフ』というシリーズを展開しており、非常に個人的な話が作品の題材になっていた。12年前に別れた恋人との関係を、言葉、映像、照明、サウンドを用いてパフォーマンスするというもの。それはパフォーマンスであると同時に、私小説、であった。どこまでがフィクションで、どこまでがドキュメンタリーなのか、その境目が分からなくなり、川口さんが「私は、、、」と言うたびに、僕自身の「私、、、」に繋がってくる。2011年、この『パーフェクトライフ』シリーズが沖縄で製作された。自分の話を題材に、しかもそれを自分が演じるという手法。川口さんの中で一体何が巻き起こっているのか。沖縄を通じて、川口さんが感じた何かを探る対談。
2011年6月30日/中野坂上

『パーフェクトライフ』とは、、、
「自分について語る」をテーマに、個人的なエピソードを縦軸、作品を上演する土地/空間の特性を取り込んだ構成をよく軸にして、テクスト、映像、ダンス、歌など、ジャンル横断的にいろんな手法をミックスして、毎回新たに構成するパフォーマンスシリーズ。
私自身について語ろうと思う
普段の生活 身近な出来事 家族や友人たち
私の生活の細部が世界の諸相を映し出す
そのために私はいったい何をどのように
話し始めればいいのだろうか
kawaguchitakao.diary http://kawaguchitakao.com/diary/?p=819
<イントロダクション>
川口
僕も映像作品を作ったことがあって、ダンスパフォーマンスの映画のようなものだった。どこかで上映できないかなぁ、って思ってる。
飯名
ビデオダンスって、ジャンルの壁というのがあって、僕にとってはここ何年か悩みの種ですよ。舞台関係に持って行くと「これは映画館でやったらいい」って言われて、映画とか映像の方に持って行くと「劇場でやったらどうか」と言われますね。たらい回し。内容そのものは、色々なものがあっていいと思います。パフォーマンスと組み合わせたようなものがあってもいいし、物語映画のようなものでもいいし、ダンスインスタレーションみたいなものがあってもいいわけですよね、イベントとしては。
川口
昔ね、映像の人と一緒に作品作ろうかって話があって、撮影用にレール敷いて、とか大掛かりで。一体幾らかかるんだろうって聞いたら、うーん、100万円、って言われて。あるわけないだろ!みたいな。映像を作ろうとすると、そのくらいのお金を貯めて短編を一本撮ろうとか思うわけでしょ?
飯名
映画でも文化庁の助成金とかで補填するものもありますよ。それはわりと大きな予算でやる映画でしょうけども。教育映画のようなものとかは文化庁が助成してますよね。インディペンデントなもの、個人的な内容の作品だと、監督とか製作プロダクションが借金するパターンで、みんな苦労してますよ。
川口
8ミリを回してた頃って、カタカタカタカタってフィルムが回ってね、コストかかりそう。
飯名
フィルムはお金かかりますよね。フィルム代と現像代と。
川口
いざやろうとすると、結構大変なことになる。
飯名
ビデオの時代になって、そういうコストは大きく変わりました。
川口
全然沖縄の話をしてないですね(笑)。
飯名
毎回こんな感じです(笑)。沖縄の話になるまでに3時間くらいかかる(笑)。
<沖縄で作品を作る、という行為>
飯名
川口さんは『パーフェクトライフ』のシリーズを沖縄で製作しましたよね。その時期って、震災の直後だった。
そういう中で沖縄というところに行って作品を作るということは、いろいろ重なるものがあるような気がしました。それに、沖縄で、となると、やはり何か場所の影響というのがあると思うんですよ。その土地で作品を製作するということですから。
川口
『パーフェクトライフ』というのは、テーマとして自分の話をするというのがあって、それから、それを上演する場所で作る、ということを基本にしてます。ケースバイケースではあるけども。
『パーフェクトライフ』の2つ目の作品は隅田川で、3つ目が表参道、4つ目がD倉庫(日暮里)、そして5つ目が沖縄。隅田川のときは、隅田川沿いのマンションの一室がギャラリーになっていて、そこで3週間かけて作品を作る。もちろん何を作るかとかは事前に考えて行かない。あのときは7月の終わりくらいで、隅田川が見える場所だったんですよ。それと、そのときの身体状況というのが、肩から手にかけて痛みがあって、指が痛い、とか。それで、そのことをやろう、と思ったわけです。毎回そんなにアイディアが思いつくわけでもなくて、あれをしようか、これをしようか、とかそういう感じで、アイディアに詰まるわけですよ。そうなると、じゃあ散歩しようかな、とか、ジョギングしようかな、とか。そういうところから物語が出て来た。こんな具合で3週間でパフォーマンスを作っていくんです。沖縄でも同じような作業でした。
飯名
『パーフェクトライフ』というシリーズの作り方というのは、そういう方法、手法なんですか?
川口
だいたいそうで、表参道のときだけはちょっと違った。あのときは、半年くらい前に表参道のギャラリーでパフォーマンスをやるってことが決まって。パフォーマンスは4月だったんですけど、1月くらいから何をしようか、と考え始めました。テーマは決まってた。それから空間の特徴も知ってたから、舞台美術もアイディアがあった。物語の中心として、12年前に別れた恋人との話、というのを、なんとかもう一度考え直さないといけないと思ったんです。そこで、ディック・ウォンとメールでやりとりして、彼にいろいろ質問してもらって、僕が答える、という方法で作っていきました。だからこれは3週間で作る、という感じではなかったんです。
沖縄の場合は、去年(2010年)9月に生まれてはじめて沖縄に行って、それで沖縄でパフォーマンスをやるって決まったので、場所を探しはじめました。どういうところでやろうかな、やれるかな、と。そしたら古座にZ スペースという場所があって。そのときはすぐ決められなくて、1月にもう一度沖縄に行って、それで決めた。
そのときにね、沖縄の各地を回るわけですよ。
9月に行ったときにいろんな家を見て回ってて、コンクリートの家とか、カラフルなパステルカラーに塗ってあったり、漆喰で固めてあったり、観葉植物が植わってたりとか。なんかそういう建物が、懐かしい、と思った。懐かしいと思ったのは、子供の頃に同級生の家で、うちの近所にそういう家が一軒だけあったことを思い出したんです。佐賀県有田町で、そんな家はないわけですよ。屋根瓦の日本家屋ばっかりの町に、いきなりそういう家が建った。小学校1年生のときかな。今となってはその記憶も正確かどうかは分からないんだけども、なんかそういう記憶があって、懐かしいな、って思った。
それで次の年(2011年)の1月に行ったとき、どの家の上にも貯水タンクがあって、いろんな形をしてた。タンクの囲いもいろいろなデザインと色があって、それが面白かった。写真を撮ったりとかして。どうしてすべての家に貯水タンクがあるの?って聞いたら、80年代くらいまでは、いっつも断水していたんだって。水道が整備されていなくて、夏になると断水する。断水すると暮らしようがない。なんとか雨水を貯めてしのぐ。っていう話を聞いた。沖縄はすごい台風があるのに、わりと細い鉄柱でタンクが支えられているわけ。見ていると面白いんですよね。
じゃあ次に、作品の中で自分のことは何を話せばいいんだろう、と考えた。ちょうど2年前に姉がなくなって実家に帰ったんです。親戚に会ったりとかして、それでいろんな人が歳をとってるわけですよ。僕が子供のころに、はつらつとしていたおじさん、おばさんが、もうそうではないわけです。それがなんか気になっていた。家、肉親、親戚を大切にしないといけないって、子供のころから言われていて、そうだなー、って思った。子供の頃にあんなにかわいがってくれた人たちが、歳をとってる。そのことに自分は今興味があるんだなって感じた。そのことと沖縄で見た風景というのが、重ねられないか、と。
主催者は、cimarcus(シマーカス http://cimarcuss.ti-da.net/)というユニットで、沖縄のアーティストを発掘するとか、そういうことをしている人たち。彼らのパフォーミングアーツ企画の第1回目として、「パーフェクトライフ」をやろうということになりました。沖縄を何も知らないで行くというのは、ちょっとな、ってあったんですけども、行ったら行ったで、基地はあるし・・・っていう環境で、現地で色々見て回って、さあどうしようって悩んだわけです。主催者からは、必ずしもそういう問題(沖縄の問題)を扱って欲しいというわけではない、という風にも聞いていたし、それでいろいろ悩んでいたら、震災(東日本大震災)が起こってしまった。それから2週間後に沖縄に行って作品作りをしたわけなんです。
沖縄に行ったら、まず足がないわけです。車もなかったから。滞在していたのは那覇市で、作品作るのが古座。そこを移動しないといけない。どうしようかな、と。それで自転車で移動しようと思った。この際、自転車を買った。
飯名
沖縄で買ったんですか?
川口
まず、自転車が欲しいと思って、自転車屋さんに行って、全部で8万円くらいのを買って、それで通い始めた。
飯名
那覇と古座を自転車で通った。
川口
全部で25kmくらい。1時間15分くらい。まずはそこから、と。作品を作る前に、まず生活の基盤を作らないといけない。とにかく毎日自転車に乗ってました。
飯名
毎日、通う途中で、沖縄の風景を見るわけですね。
川口
58号線が西側で、真ん中が330号線で。那覇から古座に行くときは58号線で行くわけ。坂道をぐーっとあがると古座。帰りは、アップダウンはあるけども下りが多い330号線で。
飯名
それが毎日?
川口
毎日。
<精神的な起伏>
飯名
親戚が老いていく、という話と、沖縄、そして震災があって。それで沖縄では毎日自転車に乗る。その中で作品のアイディアとか構想というのは、どうなっていったわけですか?
川口
どうしよう、どうしよう、という感じですよ、毎日。なにかきっかけを見つけてやっていかないといけない。悩むだけ悩んで、という状態。
4月始めくらいに、表参道のスパイラルが震災の支援メッセージみたいものをアーティストから集めていて、僕は参加しなかったんだけど、それを見に行ったんです。自分だったらどうしようって思いながら。A3の紙にメッセージを書くという企画だったんだけど、自分はその紙を破くことしか思い浮かばなかった。そのことを沖縄で思い出して、紙を破くっていうことをやってみようと。それで新聞紙を破いてみた。縦にびりびりって。1日分くらい破ってみて。うーん、ってなって。それで10日間分くらい破ってみて、現地のスタッフに聞いてみた。これどうですか?って。そしたら「キレイでもないし、インパクトがあるわけでもないし」って(笑)。まあ、そうだよねー、って。それでもやってみないと分からない。最終的には、舞台を全部覆うくらいの新聞紙の量になった。
そういうことを考えつつも、具体的にパフォーマンスのアイディアというのは、そんなにはぱんぱん思い浮かばないわけですよ。かといって籠っていてもしょうがないから、自転車で沖縄をグルグル回ってみようと。元々行こうと思っていたから。
那覇から糸満行って、ひめゆりとかも行って。東の方を回ったり。80kmくらい。次の日は100kmくらい走って。大変。はじめてそんな長い距離走ったわけだから。
沖縄ってなんとなくのイメージでしかなかったけど、こういうところなんだ、って思った。思ったよりアップダウンが激しい。北にあがって行って、東の海岸を行くと、金武町とか、辺野古とか、キャンプシュワブとか。石油のコンビナートがあってね。名護とか恩納村とか。風景が全然違う。工業地帯だったり、ビーチはあるけど泳げなかったり。でも恩納村とかは、リゾート開発が広がってて、立派な道路もあって。人の手は入っているけどビーチがあってね。とにかく起伏が激しいところだな、と。行けば行くほどトラックもバンバン走ってて。北の方は削られてるなぁー、とか。
金武町あたりにいくと基地の近くとかは、社交街というのがバーンといきなり開けててびっくりする。クラブとかスナックとかがあって。歌舞伎町みたいなね。ビックリする。典型的な米軍基地依存経済みたいなことも見えてくるし、補助金とかで土木工事がすごい進んでる。泳げない海岸も増えているような感じ。一方では恩納村とかはリゾートだし。これもなんか地元の人が近づきがたい感じ。なんか自転車で回れば回るほど、苦しくなってきちゃった。起伏が激しい、ってこと以上に。
飯名
地理的な起伏ではなくて、精神的な起伏になってきちゃったわけですね。
川口
基地の風景とかね。ばーっと広がってる。そうではない場所というのは、近づきにくい海岸が広がってるというね。かといっても、ほんの一部しか見ていないけども、実際にそういう風景を見ると、がーんとなる。地元の産業がなくて、土地も奪われている。補助金で出来る作業というのは、項目も決まっているだろうから、必要のない開発が進んでいるという印象だった。
飯名
自転車で回ってそれが見えたわけですね。資料調べて、情報だけ知ってたわけじゃなくて。沖縄にそういう状況を調べに沖縄に行ったわけではない人が、実際に風景を見てそう思った、というのが印象的ですね。
僕もそうでしたけど、何も考えずに青い海、広い空、楽しいって感覚だった人間が、町にポンと出た瞬間に「あれ?なんかちょっと違うな」って感じる。観光としての沖縄、とはちょっと違ってきちゃう。
沖縄の話をするときに、観光産業に関わる人と話すときと、琉球国からの沖縄の話から始まる人とでは、ぜんぜん印象が異なりますね。沖縄でもその2つの対立というのもあるんでしょうね。
沖縄で作品を作る、となったときに、どうしても場所のリサーチというか、サイトスペシフィックな部分で、そこはしないといけなくなる。沖縄の人たちからすると、内地からやってきて、そういう細かい問題を掘り下げないでくれ、と思っているのか、それとも、そこをどんどんやってくれ、なのか、どっちかなぁ、と思うときがあります。
profile
川口隆夫
http://kawaguchitakao.com/

大学時代よりパントマイムを基礎としたムーブメントシアターのテクニック、<ミーム>を学ぶ。その期間、テキストベースの芝居からパフォーマンスアートやダンスなど、幅広く数多くのプロジェクトに参加する。その後、スペイン留学を経て、1990年よりダンスカンパニーATA DANCEを吉福敦子と共同で主宰し、多くのダンス作品を発表する。1996年からはパフォーマンスグループ「ダムタイプ」に参加し、『OR』、『メモランダム』、『ヴォヤージュ』に出演。並行して2000年より『世界の中心』(2000年、NEXT ダンス・フェスティバル)で独自にソロ活動を開始。特に2003年以降は音楽とアートの領域をまたぐアーティスト/パフォーマーとのコラボレーションを行い、ダンスでも演劇でもない、まさに「パフォーマンスとしか言いようのない(朝日新聞評2005年3月12日、評論家・石井達朗氏)」作品を発表している。主な作品に『ディケノヴェス』(2003)、『D.D.D.』(2004)、『TABLEMIND』(2006)、『グッド・ラック』(2008)などがある。また、照明デザイナー藤本隆行(ダムタイプ)、ダンサーの白井剛、音楽の真鍋大度らとともに『true―本当のこと』(2007)を共同で制作し、現在も国内外で上演を重ねている。
2008年5月より「自分について語る」をテーマに、毎回個人的なエピソードとサイトスペシフィック(その場所の特徴を作品中に取り込む)な構成で『a perfect life』シリーズを、シカゴ(2008)、隅田川(2008)、青山(2009)、日暮里(2009予定)と継続的に上演している。
その他に、1995~99年まで東京国際レズビアン&ゲイ映画祭のディレクターを務める。また翻訳も手がけ、2003年にはイギリスの映像作家デレク・ジャーマンがエイズ で亡くなる直前に書いた色に関するエッセイ『クロマ』を共同翻訳した(出版: アッ プリンク)。





